自然に帰れ
老子思想の中核となる考え方、それは「自然に帰る」ということ。
自然に帰る…って、シンプルなことのようでいて、
実は非常に難しいことですよね。
しかし、必要以上に複雑に考えることはありません。
老子が大事にして欲しいと思っていたのは、
生き物としてのごく自然な感覚。
水が一定の方向に流れていくように、
私たちもまた、「不変の道=常」に従って生きて行けば良いのです。
お腹が空いたら食べ、眠くなったら眠り、
子や親を愛し、命を大切にする。
ことさらに自分を大きく見せようと見栄を張ったりせず、
知っていること以外は口に出さず…。
一言でいえば、「無理をしない」ということです。
例えば、実際よりも背を高く見せようと思って無理して背伸びすると、
うまくバランスが取れずに転んでしまったりしますよね?
「痩せて見えるように」とサイズの小さいジーンズを履けば、
思うように身動きが取れなくなってしまったり。
はたまた、「痩せよう」と思って無理に食事を制限すれば、
栄養不足で倒れてしまうかもしれません。
眠いのに、無理をして徹夜して勉強しても、
逆に頭が働かずに赤点を取ってしまうことも…。
このような“無理の弊害”は、人生全般について考えられることです。
だからこそ、「常の道」に従って生きたほうが良いのだと
老子は勧めているわけです。
「常」に戻れ
2013年現在、世の中は、「携帯電話=スマートフォン」と言えるほど
スマホ市場が拡大していますが…。
その一方で、従来型の携帯電話(ガラケー)のニーズも高まっているのだとか。
通話のしやすさ、操作性、バッテリーの持ち時間…
スマホと比較して、ガラケーに軍配が上がるポイントも多く、
なにより、そのシンプルさを支持する根強いファンがいるようです。
この現象、次の老子の言葉にも通ずるものがあります。
「知常日明、不知常、妄作凶」
(常を知るを明といい、常を知らざれば妄作して凶なり)
不変の道(=常)を知ることを明智といい、
これを知らなければでたらめな生き方をして禍いを招いてしまう。
…物事の根本(=常)を知らずにでたらめに効率や利便性を追求しても、
それは「明知」とは言えません。
実はガラケーの段階で、携帯電話としての「根本」は
全て出来上がっていたのではないでしょうか?
そこからさらなる機能性を追求するあまり、
メーカー各社は、顧客のニーズを読み違えていたのでは…?
選べる機種のラインナップすら縮小している昨今、
「やっぱりガラケーが一番だ」と、
流行りに流されずにガラケーに還っていく。
これは、ある意味では「常」を知っている人の賢明な判断と言えるのかもしれません。
本当の意味での「エコ」とは…
スマホVSガラケーの話にもつながることですが、
昨今の世の中は「エコ」の意味をはき違えているようです。
「シンプルな生き方に戻ろう」
「地球に優しい生活に還ろう」
…一見、老子の「自然も帰れ」「常の道に従え」という言葉に
従っているような流れにも見えますが、実際はその逆。
エコだなんだと言っても、私たちは車を捨てられません。
車で移動する、という利便性を手放す勇気すらないのです。
シンプルに、ありのままに…と言いながら、
「どうすればもっと効率よく生きられるだろうか」と、
心が定まらない毎日を送っている。
これは、老子に言わせれば、「妄作している」状態。
「常の道」に従った生き方には程遠いと言えるでしょう。
「エコ」を叫ぶのならば、その前に
まずは自分自身の生活をもう一度根本から見つめなおしてみましょう。
案外、その「エコ意識」は、単なる“ポーズ”かもしれませんよ^^;
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