老子の言葉をわかりやすくお届けします

最初からゴールを見ようとしないこと

何か新しい物事を始める時、ともすれば私たちは
「うまくいくだろうか」「成功できるだろうか」
と、ゴールを先読みしがちです。

 

しかし老子に言わせると、
「最初から結果を意識しているようでは大事なことを仕損じるぞ」
…確かに、最初から「成功しよう」と思ってコトを始めても、
その気持ちだけでは成功には至らないでしょう。

 

結果(賞やお金、名誉)など後からついてくる“オマケ”みたいなもの。
そのくらいのつもりで臨まないと、
何かを成し遂げるのは難しいのではないでしょうか。
そのことに取り組んでいる間は、無私無欲、無我夢中でなければ
オマケがついてくるほどの結果を残すことはできないでしょう。

 

ある意味では、「長生きできるだろうか」と寿命を気にすることも
これと良く似ていますよね(笑)
長生きしようと思っても、永遠に生き続けることはできません。
いつかは誰にでも最期の時が巡ってきますが、
それがいつになるかは誰にもわからない。
だから、今はただ、無私無欲に生きるだけ…。

天は無欲?

最初から結果を気にするものじゃないよ。
…この老子の教えは、見方を変えれば、

 

「結果なんて気にせずに、
自然体で思い切りやってみれば良いじゃないの」

 

「リラックスして、ありのままでいけよ!」

 

という励ましのようにも捉えられますよね。

 

具体的な言葉は次の通りです。

 

「天長地久。天地所以能長且久者、以其不自生、故能長生。
是以聖人、後其身而身先、外其身而身存。
非以其無私邪、故能成其私。」

 

(天は長く地は久し。天地の能く長く且つ久しき所以の者は、
その自ら生ぜざるをもって、故に能く長生す。
ここをもって聖人は、その身を後にして而も身は先んじ、
その身を外にして而も身は存す。
その無私なるをもってに非ずや。故に能くその私を成す。)

 

天は永遠であり、大地は久遠(=永遠)である。
天地が永遠であるのは、自らの意志で永遠であろうとは思わないから。
これが、長く物事が継続する秘密である。

 

だから「道」を知った聖人は、自分のことを他者のために後回しにしていても、
自然と周囲の人たちによって押し出されて先頭に立つものだ。
また、聖人が(遠慮をして)輪の外側に居ても、
周囲の人たちが聖人を取り囲んで自然と輪の中心にいる。

 

それは、その人が無私無欲であるからではないだろうか。
無私無欲であるからこそ、
自分をつらぬいていける(物事を達成できる)のだ。

リーダーは天地の在り方に倣え!

天地には、「永遠で在り続けよう」という意思があるわけではない。
…このような大自然の在り方に照らして、
私たち人間がいかにせこせこした生き方をしているかを気づかせる。
老子らしいテクニックですね!

 

ちなみにこの老子の言葉は、「リーダーとはかくあるべし」
という理想のリーダー論にも通ずるものがあります。
すなわち、地位や名誉などに惑わされず、
無私無欲に仕事をするリーダーは自然と周りからも慕われるもの。
やたらに知識や実績をひけらかしたり、偉ぶったりする人間は、
なにかと反発を買いやすいから、
早々にリーダーの座も追われてしまうだろう。
そんな警告(というよりは嫌味でしょうか…笑)も含まれているのでしょう。

 

地位や名誉は、単なるオマケ。
そのオマケに執着して肝心の仕事がないがしろになるようでは本末転倒。
オマケ欲しさにお菓子を買う子供と同じですよ(苦笑)