老子の言葉をわかりやすくお届けします

“自分にないもの”を求め過ぎていませんか?

「無い物ねだり」という言葉、よく使われますよね。

 

独身の人からみれば、妻子がある生活が幸せそうに見えますが、
既婚者から見れば、お金や時間がフリーな独身生活が羨ましい!

 

賃貸暮らしの人からみれば、マイホームに憧れを抱きますが、
持家の人からしてみれば、ローンや固定資産の悩みがない
賃貸住宅の自由さが懐かしい…。

 

思うように希望の仕事に就けない人から見れば、
世界を股にかけてバリバリ仕事をこなしている人が生き生きして見えますが、
仕事に忙殺される人は「お金がなくても拘束されない自由」が羨ましい。

 

…このように、人には、自分が手にしているものを嘆き、
自分に無い物を渇望するという性質があります。

 

このような性質を指して老子は、
「自分の内側に目を向けず、自分の外にばかり目を向けている」
…と表現しています。
すなわち、常に自分の外側ばかり見て“自分にないもの”を求めていると、
次から次へと欲しいものが出てきてしまう!
“足る”を知るということがなく、
「もっと」「まだ足りない」と、際限なく欲してしまうのです。

 

足るを知ることがないということは、満たされることがないということ。
常に不満が残るので、心穏やかに生きることができなくなってしまいます。

足るを知って心安らかに生きよ

「知足者富」
(足るを知る者は富む)

 

満足することを知っている者は、心豊かに生きることができるんだよ、
と、老子は説いています。

 

足るを知る=満足することを知ることは、
実は非常に難しいこと!
次々に新商品が生み出され、物があふれた現代社会では、
様々な物がある意味では“使い捨て”の状態になっています。

 

そのような環境に生きていると、どうしても、
「もっと機能が充実した新しいもの」
「バージョンアップしたもの」に目が向いてしまいがち。
結果として、「必要かどうか」を検討する余地なく
新しいものを手にする機会も増えています。

 

しかし、ちょっと立ち止まって、
「これを買うことで本当に自分の人生は豊かになるだろうか?」
と、思いめぐらしてみてください。

 

例えば、最近は、携帯電話といえばスマートフォンが定番になりつつありますよね。
かつて主流だった電話機は、ガラクタケータイ=“ガラケー”などと呼ばれ、
機種も大幅に縮小されています。
しかし、本当に、全ての人のスマホの機能が必要なのか?
スマホユーザーが、その機能を余すところなく使いこなせているのか?
…と問われると、疑問が残るでしょう。

 

何事も、他人や世の中の基準に流されるのではなく、
自分自身に合ったものを選ぶ。自分にとっての“足る”を知ること。
非常にシンプルなことですが、それが、できそうでいてできないこと。
本当の意味で幸せになるための鍵なのかもしれません。

自分の内側に目を向けてみよう

「足るを知る」というと、
「欲張らずにほどほどのところで満足すれば良いのか〜」
と解釈してしまう方も多いかもしれません。

 

しかし、老子の言う「足る知る」というのは、そのような
「仕方なく満足する」という消極的な意味ではありません。
「これで良い」のではなく、「これが」良いと思える生き方。
今の自分自身に満足することこそが、「足るを知る」ことなのです。

 

自分が持っているもの、自分が身につけてきたもの、
自分がこれまで得てきたものを認め、受け入れ、まずはそれに満足する。
もちろん、上を目指すことも大事なことですし、
“欲”もあるからこそ人は努力することができます。
「人に良く見られたい」「人から好かれたい」「尊敬されたい」
そういう気持ちがなければ、頑張れないことだってあります。

 

しかし、そればかりでは心が疲弊してしまいます。
どんなに頑張って何かを得ても、
それに満足することなく「もっと、もっと」と次を望むのでは、
自分自身が報われません。

 

時には、自分の内側に目を向けて、
「自分はこんなに多くのものを手に入れてきたんだな」と、
今までの自分自身を認めて誉めてあげることも大切。
それが、心安らかに生きるための一つの知恵とも言えるでしょう。