老子の言葉をわかりやすくお届けします

人間の思い違い

『老子』の作者が生きていたのは、
中国の「戦国時代」と呼ばれた時代です。
日本における戦国時代と同様、
「我こそは天下をとってみせる」と息巻いた諸侯たちが、
激しい戦いを繰り広げていたわけですね。

 

そんな中にあって、老子は次のような言葉を残しています。

 

「天下神器、不可為也」
(天下は神器、為すべからず)

 

天下は神聖な器である。手を加えようなどと思うな。
…簡単に言うと、天下取りの野望を持った人々を戒めた言葉ですね。
天下は神聖なものであるから、
自分の力で世界をどうこうできると思ったら大間違いだよ。
そんなおこがましいことをすれば、簡単に壊れてしまう。
だから、手を出すべきものではないんだよ、という警句ですね。

 

いつの時代も、人間というのは調子に乗りやすい生き物。
自分なら世界を治められるんじゃないか、
自分ならできるんじゃないか、
他の人ができないことも、自分なら…と、自分を過信するところがあります。

 

しかし、老子に言わせれば、それは「思い違いも甚だしい!」
傲慢になることは避けるべきことだと教えていたのです。

天地自然に従え

老子の教えといえば、「無為自然」がポピュラーですよね。
簡単に言えば、「ありのまま、自然に」という教え。
何もしないことを推奨しているわけではなく
“わざとらしい振る舞い”をすることを戒めている言葉です。

 

無為自然、物事がおのずと善い方向に導かれるような姿が
老子の理想としていたところです。

 

しかし、個人にしても国家にしても、
ありのまま自然な姿を貫きつつ“より善い方向”へ進むのは
頭でイメージするほど簡単なことではありません。
なぜなら人は、余計なことをしてしまう生き物だから(笑)。
じたばたして、かえって空回りをして、自分の首を絞めて…
それが人間だからです。

 

そこで、迷い多き私たちに向けて老子は教え説くのです。
人は、天地自然を手本にして生きていけば良いのだと。
人間は天地自然の一部、ごくちっぽけな存在であるわけで、
そんなちっぽけな存在であるところの人間があれこれ悩んでみても
この自然界は変えられない。世界は変えられない。

 

それならば、その偉大なる自然をよく見て、それを手本として生きよ、と。
それが、老子の言う「あるがまま」、「無為自然」な生き方につながっていくのです。

「世界を治める」のは無理?

古から、世界各地で幾人もの人が
「世界を治めてやろう」「天下を手中に収めよう」として戦ってきました。
しかし、果たしてその結果は…?

 

一瞬、世界を自分のものにしたかに見えても、
結局、いつかはその国も滅ぼされて次の支配者が表れ…を繰り返しているだけ。
そもそも、武力をもって世界を治めることなど不可能なのです。

 

老子の教えにもつながる思想ですが、
中国には「七徳の武」という言葉があります。
これは、中国に伝わる古典、『春秋左氏伝』にある一節。

 

暴力を禁じ、戦をやめて、大国を保ち、功を定め、民を安んじ、
衆(人身)を和ませ、財物を豊かにする。
この7つを成してこそ、「天下を治める」にふさわしい人物だということ。

 

日本では、織田信長が七徳をもって天下統一、世界を治めようとしていた
…と言われていますが、真実はいかに?