老子の言葉をわかりやすくお届けします

遠くに行くことだけが全てではない

グローバルな世の中になり、海外へ行くことや海外の学校で学ぶことは
別段、珍しいことではなくなってきましたよね。
その気になれば、人はどこまでだって遠くへ行けるのです。

 

そんな世の中にあってさえ、なんとなく、
「海外留学する」という響きには独特の「特別感」がありますよね。
国内の大学へ進学するよりも、もっと多くのことを学べるような…。

 

しかし、老子の教えによれば、
遠くに行ったからといって必ずしも真理に近づけるとは限りません。
学校どころか、外に一歩も出ずに天下の全てを知ることだってできる!
窓の外を見なくても、天の法則を知ることもできる!
…というのです。

 

余談ですが、数年前に公開された『みなさん、さようなら』という映画は、
この老子の教えに通ずるものがあると思います。
ネタバレになってしまいますのでストーリーにはあまり詳しく触れませんが…。

 

概要は、12歳で「この団地から一歩も出ずに暮らしていく!」と決心した青年が、
そこで恋をしたり、就職(団地内にあるパン屋)したりしながら、
一人、また一人と団地から引っ越していく同級生を見送るというストーリー。

 

彼は団地から出るための最後の階段を一歩も降りられない状態でありながらも、
「団地の中で一生過ごす」という青写真を自分なりにしっかり構築していました。
学校に行けずとも、ラジオで英語を学び、
自主トレで身体を鍛え、就職も果たす。

 

結局、最後は親の死をきっかけにして団地の外へ出ていくのですが、
彼はあの狭いコミュニティーの中で確かに
“人生の真理”をつかみとっていたと思われます。

外へ出ずに全てを知る

「其出弥遠、其知弥少」
(その出ずること弥いよ遠ければ、その知ること弥いよ少なし)

 

出かけていくのが遠くなればなるほど、
知ることはますます少なくなっていくものだ。
“真理”に近づこうとしてどんどん遠くへ行けばいくほど、
知れることは少なくなっていく。

 

…一見、逆説的にも思えるこの言葉。
老子がここに込めたメッセージをストレートに言うと、
「外を見る前に、まずは自分自身の内側を見よ」ということです。

 

さきほどの映画の例にも表れているように、
その人の人生にとって何が“真理”なのかは、その人にしか決められないこと。
無数にある選択肢から自分の人生の在り方を一つ一つ選び取り、
その積み重ねの中にぼんやりと見えてくるものが“真理”なのではないでしょうか。
それが「正しいか」「間違っているか」は、他人には判断できないことです。

 

海外に行けば、確かに、日本では触れることができないような
多様な考え方に出会うことができるでしょう。
日本にこもっているだけでは出会えないような
様々な人種の人々と交流を深めることもできるでしょう。

 

しかし、日本しか知らないからこそ見えてくる“真理”もあるハズ。
「遠くにいかなきゃ」「経験を積まなくちゃ」と焦るよりも、
まずは今・ここでできることを積み重ねて
自分の内側を充実させることを優先させるべきなのかもしれませんよ。

真理は足元にある?

遠くに行けばいくほど、真理は見えなくなる。

 

老子のメッセージからもうかがえるように、
人生の“真理”に近づきたいと思うのであれば
まずは自分の内側、そして足元に目を向けることが先でしょう。

 

例えば、季節の移ろいを知りたいのであれば、
わざわざ遠方まで紅葉や桜を見に行かずとも、
身近な自然の中にもその変化は表れているものです。

 

朝夕の空気の感触や散歩道の樹木の色、
花壇に咲く花の顔ぶれ…そういったものを見るだけでも
季節が確実に動いていることを感じ取ることができるハズ。

 

老子は、「一歩も外へ出ることなく全てを知り、
目で見ることなくすべてをありのままに理解できる人」
を指して「道と一体になった聖人」と表現していますが、
それほどだいそれたことではなくても、自然の理を知ることは可能です。

 

今まで見過ごしていて身近な自然に、
目を、耳を、心を傾けること。
まずはそこから始めてみませんか?