静かなのが自然な姿
家族や友達と話していて、
話したくない、あまり触れて欲しくない話題になると
無理にでも話題を変えようとして不自然に口数が多くなる…。
そんな経験はないでしょうか?
おしゃべりになってしまう背景には、言い訳や自慢、嘘が潜んでいます。
だから、「不誠実なおしゃべりは控えるように」と、
老子は繰り返し戒めているのです。
「希言自然。故ひょう風不終朝、驟雨不終日」
(希言は自然なり。故にひょう風も朝を終えず、驟雨も日を終えず)
寡黙であることが自然の姿である。
だから暴風も朝まで吹き荒れることはなく、
豪雨も一日中降り続くことはない。
…おしゃべりと天気を掛けた、上記の言葉。
もっとも、近年は、地球温暖化による影響で
一日中雨が降り続くというケースも珍しくはないわけですが…。
天地でさえ、暴風や強い雨は長く続かないのだから、
美辞麗句を並べて賢く立ち回ろうとしてもうまくいくわけがないよ、
という老子なりの忠告です。
おしゃべりは信頼を失う?
『老子』には、とにかく「おしゃべり」を戒める言葉が多く記されています。
「信足らざれば、信ぜられざること有り」も、その一つ。
「不誠実なおしゃべりばかりしていると、人の信用を失うぞ」というメッセージです。
確かに、プライベートでもビジネスでも、
「あの人、口だけは達者なんだけど手が動かないんだよな」
…という残念な人、いませんか(笑)?
本人にはそんな気はないのかもしれませんが、
傍から見ると“知識をひけらかしたい人”
“スゴイって誉めてほしい人”…と捉えられてしまうことがあります。
老子の言うように、人から信頼されたいと思うのであれば
美辞麗句や知識を並べるのではなく
「希言」=おしゃべりでないことを目指してみてはいかがでしょうか。
巧言令色鮮なし仁
口数が少なく寡黙な姿こそが自然なあり方である。
そう教えていた老子の、“おしゃべり”に関するもう一つのメッセージ。
それは、「巧言令色鮮なし仁」です。
これは、「口先のうまい者や見せかけばかりの者にロクな奴はいない」
という意味。
老子は、誰かに言葉巧みにだまされたことでもあったのでしょうか(笑)?
そんな野暮な推測をしてしまうほど、
言葉巧みな人を嫌っていた様子がうかがえますよね。
しかし、老子の言うことも一理あります。
みなさんにも経験はありませんか?
真実や本音を語ろうとするとき、人は言葉を選ぶものです。
場合によっては、その言葉を裏付けるデータを集めて
肉付けすることさえあるかもしれません。
逆に、その場を取り繕おうとする時は、
“形だけ”のもっともらしい言葉がいくらでもあふれてくる…。
データも根拠もいらない、単語の羅列です。
「自分はしゃべり過ぎてはいないだろうか」
「自分の言葉に“心”はあるだろうか」
「自分は言葉に“真実”を込めることができているだろうか」
…と、時には自分を振り返ってみることも大切です。
セールスなどの仕事をしている人は、
その振り返りがきっかけで業績にも変化が表れることもあるハズ。
もし“実”のないおしゃべりが過ぎているようなら要注意!
老子の戒めを思い出し、
単なる「口だけの人」に成り下がらないように…。
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