「からっぽ」は誉め言葉!
「お前、中身、からっぽだな〜」
…親しい人からそう言われたら、どんな気持ちになるでしょうか?
普通に考えたら、ちょっと失礼な発言ですよね(苦笑)
言われた側としては、「自分を否定された」と捉えてしまってもおかしくありません。
中身がからっぽ=何も考えていない、知識がない、思いやりがない…
ネガティブな思考の連鎖にさいなまれ、一気にブルーになってしまうかもしれません。
しかし、老子の思想を元に考えてみれば、
「からっぽだな」は最大の誉め言葉になるのです◎
なぜなら、物がいっぱいに満ちた器は、それ以上何も入れられないですよね。
からっぽだからこそいろんな物を入れることができるし、
それによって人の役に立つというわけです!
さすが!老子の思想はネガティブ思考に偏りがちな現代人の強い味方ですね!
道はからっぽ
「道沖、而用之或不盈」
(道は沖なれども、これを用うればまた盈たず)
道はからっぽで何もないようだが、使っても使っても無限の働きが出てくるものだ。
…ここに出てくる「沖」とは、「何もない空虚な状態」を意味しています。
老子が著書の中で繰り返し説いているように、
「道」とはカタチもなく言葉で説明できるようなものでもありません。
しかしながら、一方で、道とは「万物を生み出す根源である」。
なぜなら、「からっぽ」だから。
決していっぱいになってしまうことがないから、無限に物を作り出すことができる
…というわけです。
わかったような、イマイチ納得できないような…
複雑な思いの方も多いかもしれませんね(笑)
それならば、パソコンのハードディスクの容量にたとえてみましょう。
次々にソフトをダウンロードし、仕事関係の資料もため込む一方。
メールも整理せず受信しっぱなし。
そんな状態が続いていたら、あっという間に容量オーバーですし、
そうなるとパソコン上での作業でできない!
何も生み出せない!!
…どうでしょうか?
老子の言う「からっぽ」の利点、イメージをつかんでいただけたでしょうか
満ちている状態に固執しないこと!
「からっぽ」と言われて傷つくことがあるように、私たちは、
“満ちていること”、いっぱいであることが良いことだという価値観に
縛られ過ぎています。
お金も物も、不足しているよりもたくさんあったほうが良い。
…確かに、その考え方も一理ありますし、間違いではありません。
特に私たち日本人は、2011年3月11日の震災後に
それを身をもって痛感したはずです。
しかしながら、常に満ちている状態に固執していては、
新しいものを受け入れることはできないでしょう。
倉庫にだって、空きスペースがなければ新しい商品は入りませんよね?
在庫ばかり増やしても、それが建設的な方向につながらないこと少なくありません。
世の中は、常に動いています。
今、“いっぱい”であることにしがみついていると、
肝心なものを手にする機会を逃してしまうかもしれない…。
プライベートにしてもビジネスにしても、
そんな発想の転換が必要な時は必ず巡ってくるでしょう。
その時こそ、老子の言葉を思い出して、
躊躇なく自分自身を“からっぽ”にできる潔さを身につけておきたいものです。
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