老子の言葉をわかりやすくお届けします

縛られるほどに逆らいたくなる

「無為自然」を重んじていた老子は、政治の世界においても
統治者の手が加わり過ぎることを良しとはしていませんでした。
複雑な施策をすればするほどに政治は悪政になっていく。
そのように考えていたのです。

 

さらに老子は、いたずらに法令を増やすことで
人民を縛り付けることの危険性も示唆しています。
その思想が最もわかりやすいのが、次の言葉。

 

「天下多忌き、而民弥貧」
(天下に忌き多くして、而うして民は弥いよ貧し)

 

天下に禁令が増えれば増えるほど、人々は貧しくなるものだ。
…老子お得意の逆説的な表現ですが、
法令が厳しくなればなるほど犯罪が増えると言うのです。

 

老子によれば、法令が厳しくなれば、その網を潜り抜けるような
巧妙な手口の犯罪が増えていきます。
その結果、一部のずる賢い人間ばかりが得をして、
地道に働いている人民との間に大きな格差が生じる。

 

…まさに、現代を象徴しているような言葉ですよね。
すさまじい勢いでIT化が進んでいる現代社会では、
警察すら翻弄されるような巧妙なテクニックを応用した犯罪が増えていますから…。

 

ただ、老子の言葉を借りるならば、
この先どれだけ法令を厳しくして不正を取り締まったとしても
次から次へと新しい犯罪が生まれてくることでしょう。

政治はおおらかが一番!

厳しい法令で締め付ければ、
かえってそれに逆らう形で新しい犯罪が生まれる。
それならば、政治家はどうしたら良いのか!?

 

老子曰く、「政治は“悶悶”が良い」
悶悶とは、ハッキリしないもやもやした感じのこと。
日常生活でも、「悶悶と悩む」といった表現を使うことがありますよね。
あの状態こそ、政治の理想だと老子は言っているのです。

 

なぜなら、そのほうが人民はのびのびと生きられるから。
細かい部分まで監視され、なんでもかんでも法令で厳しく取り締まられていると
人は「なんとかその監視の目を逃れよう」と小賢しい裏工作をしたり
暴動を起こしたりしたくなるもの。
これを避けるには、ちょっとボヤッとした政治くらいがちょうど良いのでは?
…というわけですね。

 

そのような理想的な政治の在り方について語ったのが次の言葉です。

 

「其政悶悶、其民淳淳」
(其の政悶悶たれば、其の民は淳淳たり)

 

政治がぼんやりしている時、人民は純朴でのびのびとしているものだ。
…このように、老子はとことん「無為」の政治を理想に掲げているわけですが…。
果たしてそれは可能なことなのでしょうか。

無為の政治こそ人民を幸せにする

「無為の政治」というとなんだかかえって難しい印象を受けますが、
老子が言いたかったことは、実はしごくシンプルなことなのではないでしょうか。

 

自分自身の生活を振り返ってみてください。
例えばダイエットをしようとして、いくつか目標を設定する時。
「体重は朝と夜の2回計測する。○日後までに△kgまで落とす」
「食事は1日○キロカロリーまで。タンパク質は△gで脂肪分は…」
「1日△qは必ず歩く。具体的には○から□までを▲分で歩くペースで」
…と事細かに決めてしまうと、ものすごいストレスを感じるでしょう。
もちろん、それをクリアしていくことに充実感はありますが…。

 

しかし、もしそれを守れなかった時、
プッツリと我慢の糸が切れてしまうかもしれません。
それっきり、ダイエットそのものが嫌になってしまった…という経験、ありませんか?

 

そうなるよりは、ごくシンプルなルールだけを決めて
長くダイエットを続けられるほうがずっと効果的◎
「間食はなるべく控える」
「夜遅くの食事は控える」
「なるべく歩くように心がける」
…このくらいシンプルなダイエットのほうが、実は確実に痩せられます。

 

法令も同様で、
「人を殺してはいけない」
「人を傷つけてはいけない」
「人を物を盗ってはいけない」
…このくらいシンプルな決め事だけを与えたほうが、
世の中の治安は良くなるのかもしれません。