老子の言葉をわかりやすくお届けします

この世は予測不能

何か良い出来事があった時、
「やった〜!ラッキー」
と、手放しで喜べる人もいれば、
「いやいや、これってもしかして、すごく悪いことの前兆かも…」
と必要以上に身構えてしまう人もいるでしょう。

 

さて、では、老子はどちらのタイプだったのか?と言えば…。
次の言葉に表されているように、どうやら後者だったようですね(笑)。

 

「禍福之所倚、福禍之所伏」
(禍いは福の倚る所、福は禍いの伏す所)

 

不運な時、そこには幸運が寄り添っており、
幸運な時、そこには不運が潜んでいる。
…ちょっと極端な考え方のようにも思えますが、
不運は幸運の始まりであり、幸運は不運につながっていると言うのです。

 

おそらく、人によっては、
「そんなひねくれたコトばかり言っていたら、人生楽しくないじゃん!
運がツイてる時は素直に喜んだほうが良いんじゃないの」
と一蹴するかもしれません。

 

ただ、誤解されがちですが、
老子がこの言葉に込めたのは決してネガティブなメッセージではないのです。
不運な目に遭っても、今は苦しくても、それに屈してはいけないよ。
人生なんて、誰に何があるかわからないんだから、
いちいち一喜一憂せずにありのままに運命を受け入れなさいよ。
…という励ましの言葉とも取れるのです。

人間万事塞翁が馬

老子が説いたように、人生、幸運と不運は常に背中合わせ。
いつ何が起きても不思議ではありません。

 

…と言うと、おそらく多くの方は、
「人間万事塞翁が馬」という中国の故事を思い出すのではないでしょうか。
この故事の意味をおさらいしてみると…

 

ある日、塞翁という老人の馬が逃げてしまいました。
人々が憐れんでいると、その馬は駿馬を連れて戻ってきました。

 

「良かった良かった」と一安心していると、
今度は塞翁の息子がその馬から落馬して骨折してしまいます。
またしても周囲の人々が気の毒だと話していると、
やがてその国で戦争が起こり、若い男性は出征を余儀なくされます。

 

そして、多くの青年が命を落としました。
ところが、塞翁の息子は怪我をしていたため出征をまぬがれ
命拾いをしたというわけです。

 

この故事が表しているのは、まさに、
「何が禍い(わざわい)に転じるか、幸運に転じるかはわからない」
ということ。
一見、ラッキーに見える出来事も実は不運につながっているかもしれませんし、
「最悪だ!」と思えることも、チャンスに転じるかもしれないのです。

何が起きてもドンと受け入れる

老子の教えでも、塞翁の故事でも、
いずれにしてもそこに込められているのは
「人生、何が起きてもドンと受け入れろよ」というメッセージ。

 

Aさんだけが運がツイていなくて一生不幸。
Bさんは強運の持ち主だから死ぬまでHappy。

 

そんなことは絶対にあり得ません。
傍から見て幸せそうな人の人生にも不運は潜んでいますし、
パッとしないように見える人生にも密に咲く花の種はあります。

 

私たち自身がすべきことは、ただ、その運命をありのままに受け入れること。
一喜一憂してあたふたするのではなく、
何があっても悠然と構えて無為自然に受け入れることだけなのです。

 

「どうして自分だけこんな目に遭うんだろう」
というネガティブな思考にとらわれそうになったら、
どうか老子の言葉を思い出してください!