老子の言葉をわかりやすくお届けします

世の中はどう転じるかわからない

「祇園精舎の鐘の音、盛者必衰の理を表す」
という言葉があるように、世の中、どう転じるかわかりません。
源平合戦や戦国時代ほど極端ではないにしても、
現代の世の中でも、「どの政党が政権を取るか」は
私たち庶民の生活にダイレクトに影響してきます。

 

「産めよ、育てよ」で子育てが支援されていれば、
その時代の若者は安心して子供を産み、育てるでしょう。

 

「女性のチカラを!」と女性が優遇されていれば、
どんどん外に出て働き活躍する女性が増えるでしょう。

 

「国産の農作物を守れ!」と国が農業支援にアツい時代なら、
農地を手放す農家も少なくなるかもしれません。

 

しかし、政権や時代の価値観が変われば、
全てが180度転じて逆の世の中になってしまう可能性もあるわけです。
実際、日本の少子化は深刻な状況まで進行していますし、
第一子出産を機に退職せざるを得ない女性もまだまだ多い。
跡継ぎもなく、農地を手放す農家も多い…これが現状です。

 

老子は、人の人生も世の中も、どう転じていくかわからない。
変化の法則は誰にも分らないのだから、変化に「寛容であれ」と教えています。

聖人は「上から目線」にならない

それまで「善」とされていたものが一転して「悪」に転じたり、
「正統」とされていたものが「異端」扱いされることもよくあること。

 

こういった変化に惑わず、迷わず、寛容に受け入れよ。
「こうじゃなくちゃだめだ」と正義を押し付けたり、
厳しくルールを作って取り締まっても、世の中は結局はうまく治まらないし、
世の中は転々と変化していくものなんだよ…。

 

そんな教えが表現されているのが、次の言葉です。

 

 

「聖人方而不割、廉而不?、直而不肆、光而不耀」
(聖人方にして割かず、廉にして?つけず、直にして肆びず、光りて耀かさず)

 

聖人は方正であっても人を裁くことはなく
清廉であっても人を傷つけず、
まっすぐであっても押し通すことはなく
明智の光を外に出さないものだ。

 

…老子によれば、「聖人」とは、世の中の変化や人に対して寛容であって、
たとえ自分が正しくても人をむやみに裁いたり批判したりはしないもの。
智慧をひけらかすこともなければ、無理に正義を貫くこともない。

 

つまりは、「上から目線な言動をしない」ということですよね。
確かに、「この人、徳がある人だな〜」と感じさせてくれる人は、
一方的に人を責めたりしないものです。

 

一旦、相手の非も含めて寛容に受け止めて、
「なぜその人はそうしてしまったのか」
「なぜそういう風に考えるのか」
「どうしてそのような言動にいたったのか」
…相手の言葉に耳を傾けて、客観的に、冷静に判断できる。
それが、「聖人」「徳のある人物」の特徴と言えるのではないでしょうか。

善悪の線引きは難しい

世の中の移ろいに寛容であれ、と説いた老子は、また、
善悪の線引きの難しさについても語っています。

 

というのは、世の中が移ろいやすいということは、
善悪の価値観もコロコロ変わってしまうということだから。
「これが善、これが悪」と安易に線引きして正義を押し付けても、
次に変化が起こればその価値観はひっくり返ってしまうわけです。

 

「むやみにルール化、法律化せず、無為自然に
“おおらかな”スタンスで治める政治が理想なんだよ」と言うのです。

 

言うのは簡単ですが、こうした政治は難しいですよね(笑)。

 

「決め事を決めるのが政治家の仕事」
「その当たり前の仕事すらまともにできないなんて(怒)」
…そんな目で政治家や国会の様子を眺めている方も多いのでは?
しかし、老子に言わせれば、ことさらにルールで縛らずに
それでも世の中を穏やかに治められる政治こそが真の姿。

 

それができるような政治家の出現を気長に待ちたいものですね^^