老子の言葉をわかりやすくお届けします

仏教の教えにもつながる教え

2013年、巷では某TVドラマの影響で

 

「やられたら倍返しだ!」

 

というフレーズが大流行(笑)!
日ごろ、上司や取引先に「やられっぱなし」になっている
サラリーマンたちにアツい支持を受けているようですが…。

 

しかし、これを老子が聞いたら、
おそらく苦い顔をしていたことでしょう。
というのも、老子は、
「怨みを倍返しすれば、相手にも怨みが残って負の連鎖になる」
と考えていたからです。

 

この考え方は、仏教の教えにも重なるもの。
ブッダが残した教えに、次のような有名な言葉がありますが、
老子が言いたかったこともまさにこれと同じようなことでしょう。

 

「怨みに対して怨みをもって返すならば、ついに怨みは鎮まることがない。
怨みを捨ててこそ怨みは鎮まる。これは永遠の真理である」

負の連鎖に陥らないために…

もらった怨みに対して、怨みでもって返しても
それは新たな怨みを生み出すだけ。

 

「それなら、怨みなんて
自分のほうから捨てちゃおうよっ!」

 

…というのが、ブッダにも老子にも共通する考え方です。

 

さらに老子は、「怨みには慈悲と寛容をもって報いよ」という意味を込めて
次のように教えています。

 

「報怨以徳」
(怨みに報ゆるに徳を以てす)

 

怨みに対しては徳をもって報いることだ。
…すなわち、「やられた!」からといって「倍返しだ!」とムキになるのではなく
相手に対して「お〜、よちよち。怒っているんだなあ」と、
相手の怨みを寛容に受け止めてあげられるだけの余裕を持てよ、ということでしょう。

 

ちょっと乱暴な解釈ではありますが、老子流の「怨みの受け流し方」は、
例えていえば、「赤ん坊をあやすような感覚」に近いのではないでしょうか。
結局、人に対して怨みや怒りを向けるということは、
「いや、いや」と駄々をこねている赤ん坊と同じ状態。
自分を認めて欲しい、かまって欲しいとアピールしているに過ぎないのです。

 

誰かに怨みをかったら、「お〜、よちよち。わかったよ」と
ちょっと上から目線に(笑)、余裕をもってあしらうことができれば、
怨みスパイラルに陥らずにいられるのではないでしょうか。

老子と孔子の決定的な違い

孔子に代表される「儒家思想」と、老子が代表する「道家思想」。
様々な面で対照的で、よく比較対象にも挙げられる両者ですが…
「怨み」に対する対処方法についても、その違いがよく表れています。

 

老子が「怨みに対しても徳を返しなさい」と教えていたのに対して、孔子は、

 

「悪意には悪意にふさわしいものをそのままお返ししなさい」

 

という思想。
徳には徳を、悪意には悪意を…。
まるでハムラビ法典のようですね(笑)。
(ハムラビ法典は、決して報復を勧めているわけではありませんが…)

 

孔子の思想は、「公平だ」と言われれば確かに「公平」ですが、
老子のような人間くさい“愛”が感じられないようにも思えます。
怨みを持つことも含めて一人の人間であり、
それを受け入れることができるのもまた、人間。

 

「怨みを持たれたっていいじゃないか。
そのくらい、笑って受け入れるくらいの懐の広さを持てよ」
…老子の思想には、そんな温かいメッセージ性が込められているようにも感じられます。

 

長い目で見て、社会全体に良い循環ができていくのはどちらの思想なのか…。
さて、みなさんには、老子と孔子、どちらの思想がしっくりくるでしょうか?