老子の言葉をわかりやすくお届けします

「戦わずして勝つ」の実践者

「戦う」ということは、敗者側にはもちろんのこと
勝者側にも少なからず傷跡を残すものです。

 

もちろん、経済的な損失も大きいでしょう。
理想的には、「戦わない」のが一番!
これは言うまでもないことですよね。

 

老子もまた、「戦わない」=不争を問いた思想家でしたが、
単に「戦わない」だけではありません。
老子が教えていたのは、「戦わずして勝つ」ということです。
戦わないだけではなく、勝たなければいけないのです。

 

老子が理想としていたのは、「水」のように柔軟で、
しなやかで、抗わない生き方。
本当の意味で“強い”人というのは、決して猛々しくはなく
争わず、戦わず、へりくだっていつも“人の下”に身を置くものだ、と。
武力を使って戦っても、仕返しされるのがオチだし、
結局は味方にも損害をもたらすだけだと。

 

しかしながら、「戦わなくても良い」とは言っていません。
例えば、次のような言葉。

 

「うまく敵に勝つものは、敵とまともにぶつからない」
「勝っても、それを賛美してはいけない」
「やむを得ず武力を行使する場合は、あっさりと使うのが最上である」

 

…つまり、戦わざるを得ない場合には受けて立っても良いが、
「積極的に」戦うべきではないよ、ということですね。
戦うなら、正面衝突ではなく“戦術”を考えなさいよ。
勝ったとしても、そこに胡坐をかいて高慢になってはいけないよ。
…というわけです。

老子からトルストイへ。そしてガンジーへ…

「要するに、どうせ戦うなら勝てよってことなの?」
「戦うなって言ってるわりには、老子って結構、策士だよね(笑)」

 

確かに、老子流の「戦わずして勝つ」というスタンスは、
ちょっと理解しにくいかもしれませんね(笑)

 

しかし、実は、老子の言う「戦わずして勝つ」の在り方が
非常にわかりやすく表現されている書物があるのです。
(NHKの『100分de名著』でも紹介されていましたね)

 

それは、トルストイの『イワンの馬鹿』
詳しいストーリーの紹介はここでは割愛しますが、
内容をざっくりをまとめると次の通りです。

 

無欲で純粋なイワンは、魔法の力で裕福になるも
もともと贅沢な生活に興味はないため、
兄弟や知人に富を分け与えながら今まで通りの貧乏暮らしを続けました。

 

その後、イワンは、王女の難病を治したことで
なんと国王の地位にまでのぼりつめますが、
またしても「体を動かさないと落ち着かない」と、今まで通り農作業に精を出します。

 

さらに、悪魔の陰謀でイワンの国は他国から侵略を受けますが、
イワンの国民はされるがままで無抵抗。
あげくの果てには、敵側が「気味が悪い」と言って退散するという結果に…。

 

しかもイワンの国民は、
どんなに悪魔にそそのかされても心を動かされることはなく、
みんなただただ真面目に手を動かして働き続けるのです。
なぜかといえば…それは、国民が「幸せ」だから。
現状に満足して、“足る”を知っていたからです。

 

トルストイのこの世界観は、老子の教えにつながるものがありますよね。
実際、トルストイは老子の思想に多大な影響を受けていたのだとか。
そして、そのトルストイと親交があった「インド独立の父」、
ガンジーもまた、
間接的に老子思想を実践した人物だったと考えられているのです。

ガンジーってどんな人?

ガンジーと言えば、「無抵抗・非暴力」。
まさに、老子の言う「戦わずして勝つ」を実践していた政治家です。

 

ガンジーことマハトマ・ガンジー(1869年〜1948年)は、
イギリスに留学中に弁護士の資格を取得。
その後、南アフリカにて20年にわたって人権擁護活動に従事し、
第一次世界大戦中にインドに帰国。
国民会議派に属して、インドの独立運動に尽力したことで知られています。
(当時、インドはイギリスの植民地支配にありました)

 

また、「宗教融和」でも知られていますよね。
インドにはヒンズー教とイスラム教、二つの宗教があったため、
第二次世界大戦後に国内で対立が生じましたが、
ガンジーは二つの宗教の融和を説いて回り、インドの分裂を防ごうとしたのです。

 

結局は、インド各地で暴動が発生し、イギリスでさえも手に負えなくなり、
イギリスはインドを放棄します。
ガンジーは最後まで宗教融和を説いて回りましたが、願い叶わず決裂。

 

イスラム教徒によるパキスタンが建国され、
インドvsパキスタンの大規模な戦争が勃発します。
ガンジーはといえば…望をかなえられないまま、暗殺されてしまいました。

 

暴力ではなく“非暴力”で対抗することが
ガンジーの独立運動のベースにある考え方でしたが、生前の彼は、
「トルストイは現代が生み出した非暴力の最も偉大なる使途である」
と、トルストイの思想を高く評価していました。

 

そのトルストイが、老子の思想から強い影響を受けていたとしたら…
それは、トルストイを通じて老子思想がガンジーにも伝わっていたということですよね。