老子の言葉をわかりやすくお届けします

最初の一歩を踏み出す勇気を

どんなことでも、最初の一歩を踏み出すには
かなりのエネルギーが要りますよね。
歩き始めてしまえばどうってことはないのでしょうが、
腰を上げるまでに時間がかかるのです。

 

おそらくそれは、進み始めた道の先に待っている険しい(であろう)道を
実際以上にハードなものとして想像してしまうからなのでしょうね。
「机上の空論」という言葉もあるように、
机にボーっと座りながら、まだやってもいないことをあれこれ考えて
どちらかと言えばネガティブな想像に引っ張られているために
なかなか一歩を踏み出せないのではないでしょうか。

 

しかし、老子は言っています。
この世界にいきなり大きなものは生まれないのだと。
大木だって小さな芽から生まれますし、
千里もの長旅も最初の小さな一歩から始まるのです。

 

「千里之行、始於足下」
(千里の行も足下より始まる)

 

千里もの長旅も、足元の一歩から始まる。

「一」という数字が持つ意味とは

どんな大きな物事も、最初の一歩から。
いきなり大きなことを達成することはできないんだよ、と、
小さな一歩を積み重ねていくことの大切さを説いた老子はまた、
「一」 という数字を重要視していました。
その教えが非常にわかりやすく表されているのが次の言葉です。

 

「天得一以清、地得一以寧」
(天は一を得て以て清く、地は一を得て以て寧し)

 

天は一を得ていまだに清澄さを失わず、地は一を得てずっと安泰である。
…天も地も「一」から生まれたものであり、
生まれた時のままの純粋な姿を保っているよ、というのです。
この世の始まりは「一」であり、その一歩こそが物事のスタート地点。

 

これは、「万物の根源=道」という考え方にもつながっていくものです。
すなわち、老子は「一」と「道」を同じような意味でとらえていたということですね。

 

世界の始まりがなければ、私たちが今、胡坐をかいている
この現代文明も起こり得なかったわけで…。
そういう意味では、私たちのこの現代文明もまた、
世界の根源=最初の“一歩”があったからこそ成り立っているのです。

 

人間の力でいきなり大きなことを成し遂げたわけではなく
そこに自然があったからこそ、そこに私たちが命を受けたからこそできたこと。
ともすれば、忘れてしまいそうなほど当たり前のことですが…。

 

老子は、そんな人間たちへの戒めとして、
「一から生じた純粋なものを損なおうとしているのが文明だ」
と、文明の発展を痛烈に批判する言葉も残しています。

どんなことも“積み重ね”が大事

何か大きなことを成し遂げようと思うと、私たちはどうしても
「もっとラクできる方法があるんじゃないか」
「近道があるんじゃないか」
と、安易な方法を探してしまいがちです。

 

しかし、老子が教えているように、一歩一歩、地道に努力を重ねること
大きな成果につながりますし、最終的には一番の近道でもあります。
近道をしよう、ラクしようと思ってプロセスをショートカットすることばかり
考えていると、必ずどこかに無理が生じると老子は言うのです。

 

じれったいと思うこともあるでしょう。
走り出してしまいたいと思うこともあるでしょう
しかし、自然に反した行動は、失敗の元にもなり兼ねません。

 

ここは一つ、結果を焦らず、我欲にとらわれず、
一歩一歩、足元の道を踏みしめながら
その感触を確かめながら歩いていきましょう。