老子の言葉をわかりやすくお届けします

道=母?

「母なる海」という表現があるように、
海は私たち生物の「始まり」の場所です。
約39億年前に海の中に「原子バクテリア」が誕生し、
これが生物の長い進化の始まりだったと考えられているのです。

 

老子には、「道」を「海」の様子になぞらえている言葉がありますが、
確かに、道は「万物の根源」ですから、
言ってみれば「この世の全てのものを生み出した“母”」であり「始まり」。
海が生命を生み出したように、
道もまた、あらゆるものを次々と生み出す“母”なのです。

 

「天下有始、以爲天下母。
既知其母、復知其子、
既知其子、復守其母、没身不殆」

 

(天下に始め有り、以て天下の母と為す。
既に其の母を知り、また其の子を知り、
既に其の子を知りて、また其の母を守れば、
身を没するまで殆うからず)

 

天下の全てのものには皆、始まりがある。
この始まりを天下の万物の根本とする。  
万物の根本である母(=道)を認識したからには、その子(=万物)も認識できる。  
万物を認識したからには、さらに根本をしっかりと守らなくてはならない。
そうすれば終生危険は無い。  

 

…後半の、「根本を守る」というくだりが、
「イマイチ、意味が分からない。なんで根本を守る必要があるの?」
と、納得できない方もいらっしゃるかもしれません。
ここを理解するためには、次のフレーズがカギになります。

 

余計なものはシャットアウト!?

「塞其兌、閇其門、終身不勤。
開其兌、濟其事、終身不救」

 

(其の兌を塞ぎ、其の門を閉ずれば、終身つかれず。
其の兌を開き、其の事をなせば、終身救われず)

 

道を修めるには、知識や欲望の入る耳、目、鼻、口などの穴を塞ぐ。
門を閉ざせば終生病は発生しない。
穴を開き、知識、欲望の入るに任せれば、もはや救いようが無い。

 

…要するに、余計な知識が増えればそれだけ欲望も増え、
それに惑わされて真実が見えなくなる。
だから、あんまり「頭でっかちになるなよ」ということです。
少々、乱暴な解釈ではありますが…(苦笑)

 

この言葉、私たち現代人にはガツンとくる内容ですよね。
ネット技術の急速な発展などの影響もあり、
「どれだけ情報を持っているか」、その情報量が
人の将来を左右するような場面も多いですし…。
(イマドキの就活などは、こういった傾向が強いのではないでしょうか)

 

しかし、老子に言わせれば、
知識や情報量なんかよりももっと大事なものがあるというわけです。
そんなものに振り回されて余計な欲望に駆られるくらいなら、
目も耳も、全ての穴をふさいでしまえ!!と…。

 

全てをふさいでしまった時に見えてくるものって一体なんでしょう?
空気、水、風、樹木、草花、人…
“自然”は変わることなくそこにありますよね。
もちろん、自分たちの「始まり」である海も。

 

私が知識人だろうが、ただのプータローだろうが、
「始まり」は変わらないわけですし、
一つの「生き物」としてそこに「有る」ことも変わらない。
つまり、それこそが「根本」。
この根本を見失えば、私たちたちは自分自身をも見失ってしまいます。

 

だからこそ老子は、「根本を大事にしなさいよ」と戒めたのではないでしょうか。

悩んだら、「始まり」に還ろう

老子に言うように、私たちが思い煩ったり
生きることに苦痛を感じたりするのは、
外から入ってくる情報量が多すぎるせいなのかもしれません。

 

情報が多いから、悩みの種も増えますし、
下手に知識をつけるから、余計なことまで考えが及ぶようになってしまいます。
いっそ、感覚の「穴=窓」をふさいでしまって、自分を自分の内面に押し込んでしまえば
人の生涯は労苦から解放されるのかもしれません。

 

…というのはちょっと極端かもしれませんが、
あまりに世間の情報に左右されて世事に奔走しているようでは、
次々に「あれも」「これも」と欲望が生まれて少しも救われることがありません。

 

「ああ、自分、いっぱいいっぱいになっているな」
「いろんな情報に惑わされて、本質が見えなくなっているな」

 

そう感じたら、“始まり”に還ってみることが大事なのかもしれませんね。
休みの日に、たまには海でも見に行く…というのも、
実は非常に意義深いことなのかもしれませんよ^^